「この土地で生きる」連載エッセイ その11

「セキュリティとセーフティネット」

セーフティネットの無い里山
セーフティネットの無い里山

 

 こんな田舎町でも最近は防犯カメラをよく見かけるようになった。

犯罪抑止効果を期待してのことだが、犯人を見つけ出す効力もある。しかし、近ごろはSNSを悪用した詐欺被害が後を絶たない。

 

 このような被害に遭わないためにもセキュリティ対策を万全にということだが、小中学生にまでもネットリテラシーが求められる時代になった。

 こんな危険な社会に子どもたちを送り出したくはないが、こんな社会を作ったのは私たち大人だということには、慚愧の至りだ。経済至上主義がもたらす心無い未来は、子どもたちに危うい社会の綱渡りを強いているのだ。

 

 とはいえ、私たち大人も混沌とした社会の中で、安全の保障などない一本橋を渡らされている。セキュリティやヘッジも取れないまま、立ち止まることも許されず歩き続けている人たちが大勢いる。人によって幸福の形は様々だが、ほとんどは経済至上主義のるつぼの中で喘いでいると言っていい。

 

  こうして、不安定な綱渡りが続いているわけだが、もしも綱から落下したらどうなるか。命綱を腰に繋いでいるならまだしも、両手でバランスを取りながら揺れているのは、怖い。

 サーカスで喝采を受ける空中ブランコや綱渡りの演技では、観客の目線のずっと下方に網が張られている。これが「セーフティネット」のいわれだと聞いたことがある。嘘の安全神話がいくつも作り続けられる中、私たちは常に想定外を意識した将来設計図を得かがなくてはならないわけだが、SDGsで云われる「誰一人取り残さない」というくだりを思えば、社会のセーフティネットが必要なのは言うまでもないし、命を守るだけではなく、再スタート、再チャレンジが可能な社会にしなければならないと思うのは私だけか。

 

 人生の綱渡りを互いに励まし支え合える社会であって欲しいものだが、なればこそ、万が一に備えるセーフティネットを皆で張って、誰もが再スタートできる優しい社会であって欲しいと願う。

 

 セキュリティは各々万全に、そしてセーフティネットは皆で万全にという社会だ。

 

 誰しもが持っている生存の権利を、自己責任という言葉で突き放すわけにはいかない。

 

塗師 江口忠博

 



「この土地で生きる」連載エッセイ その10

「新しい公共」

置賜の図
置賜の図

 

 

 人口に掛け算をして配分される地方交付税だが、人口減少社会の中では当然減額されていく。すると、自治体財政は縮小し、多様な求めに対応すべき行政サービスも行き届かなくなる。日本全国どこの地方自治体でも抱えている課題だ。

 

  これまで多くの自治体で実践されてきた市民による地域づくりプロジェクトは、大抵の場合先ずは身近な行政機関を頼り事業費の獲得に動く。頼られた自治体等は国や県に補助金交付事業等があれば申請作業に移り、何とか申請が通るようにと算段をするし、時には政治家達も巻き込むこともある。

地域新電力の設立
地域新電力の設立

 

     そんな、市井と公の依存関係の中で私たちは暮らしを営んできたが、今般、縮小していく行政に依存するばかりではなく、市民も公共を担う意識を持った「新しい公共」という考え方が立ち上がっている。

国も自治体側も「ない袖は振れない」のだ。かといって、放っておかれる市民としても我慢がならないから、公助がだめならせめて共助や自助の精神を持って事に向かう。となる。

 

 「新しい公共」とは、行政が担ってきた住民サービスを、地域に暮らす市民やNPOや企業も担い、行政と市民が協働して地域を支えて行こうという考え方だ。「公」は、皆が平等でより良く生きることに寄与するために在るのであって、既得権を振りかざして独り勝ちを目論む輩を善しとはしないものだ。

 

 しかし、論外がことだが「公」と癒着し果実を獲ようとする悪巧みが発覚することがある。間違った公権力の使い方をしてはならない。私たちには、上位下達式ではない市民参加型の地域づくりが求められている。

 最終受益者は私たち市民。そして、私たちには「公」を携えた主体者としての社会生活が求められているのだと思う。

    世の中で起きていることは自分事なのだ。

 

 

塗師 江口忠博



「この土地で生きる」連続エッセイ その9

「サイズと価値と価格の話」

あたの寸法
あたの寸法

 「大の字になって寝てみたい」とは、日本人特有のリラックスポーズの表現だ。この「大の字」は人が畳の上に両手両足を広げて横になった形を指す。畳2枚を並べると、広さは180㎝×180cmで大抵の人が両手両足を広げてもこのサイズに収まることになる。

 

  日本家屋の様々な寸法は日本人の体格が基になっている。今は、尺貫法という計量法は使わなくなったとはいえ、手仕事稼業の人たちは今も尺貫法をよく使う。日本人の肩幅は1尺5寸・約45cm。だからお膳を両手で違和感なく持ち上げられる膳の一辺は、一般的に1尺2寸の約36cmだ。これは手のひらの厚みを考慮したなんとも優しく合理的な寸法で、日本家屋の幅3尺・90cmの廊下で互いにお膳を持った人がすれ違えるサイズになっている。

 

  手の親指と人差し指を直角に開いた時、親指の先から人差し指の先までの長さを「あた」という。約5寸・15cmだ。もちろん手の大きな人もいるから絶対ではないが、平均的なサイズである。直径15cmの太さのものを片手で掴むのは厳しいが、半分の7.5cmだと力も入るし落とすこともなく掴める。私たちが愛するビール瓶の太さは直径約7.5cmだし、ダルマと呼ばれるウィスキーの瓶は奥行きが約7.5cmだ。身体のサイズに叶った寸法である。

手ごろな太さ

 器物の好みは人それぞれだが、使いやすい形や大きさ、重さの類は実際に手に取ってみると、使い勝手の良さがイメージ出来るものだ。「手ごろ」という言葉は、この、モノを手に取って良さを確かめるということなのだ。インターネットやテレビショッピングで簡単に買い物ができるが、「手ごろ」という意味を「手頃な価格」という解釈に変えてしまったことは残念な気がする。

 

 モノの価値が価格に置き換えられがちだが、転売や投機の目的以外は、商品の価格は買い求めた瞬間にゼロになるのは当然だ。価値の対価として支払ったのだから。モノの価値はあくまでもその人にとって「使い勝手が良くて手ごろという充足感」が大切なのだ。

 

 市場経済における価格と、暮らしの中にある価値は違うのである。

 

 

塗師 江口忠博



「この土地で暮らす」連続エッセイ その8

「活性化とは言うけれど」

  全ての自治体は明るい未来を描いた施策を掲げる。

   「町の活性化」「経済の活性化」は聞き馴染んだ言い回しだが、その「活性化」とは何をもって計るのか。

    一部の企業や市民が一時的にせよ懐が温まることを「経済の活性化が成った」と評価する人もいるし、「イベントへの人出も多く出店も賑わったから成功した」と企ての結果を喜ぶ主催者や参加者もいる

    何をもって活性化と言えるのかと問われれば、私の答えはこうだ。わくわく感やドキドキ感、弾む気持ちを味わえる場面を創りだし、提供したり自ら体験することで活性化は叶うと。日頃味わえない体験を提供出来たかだ。

 

「地域の活性化を」というスローガンの先にあるべきは、市民一人ひとりの心にどんな火種を灯せるかだ。地域づくりと称するハード事業を推し進めることとも違う。

    ハード事業は、関わった事業者の経済活性化には資するが、わくわく感や楽しみを提供したり、自らも創ったり参加しようとするモチベーションにいざなうことが出来るかが重要だ。ハード事業で活性化しなければ町が衰退すると悲観することもない。

 町の活性化とは暮らしている人の心の活性化に他ならない。日常をどう楽しめるかにかかっている。

 

 だが、私たちの日常が不安だらけでは、楽しみやわくわく感は味わえない。

そう、将来が不安だらけの環境にある人は、非日常のドキドキ感などにかまってはいられないのだ。

「活性化」とは言うけれど、あるべきは人々の心にわくわくするの火種を灯すことだと思う。手法は様々だが、将来不安を抱えた湿った心には火種は灯らない。せめて、湿り気を取り払う、明るい笑いが起きるような楽しい話を考えよう。

 

 「活性化」は人の笑顔づくりから始まると思うのだ。     

 

塗師 江口忠博

 



「この土地で生きる」連続エッセイ その7

「未来は記憶から作られる」

             一本松の記憶
             一本松の記憶

 近頃、遠い記憶の断片が頭の中を駆けて行くことがある。しかも記憶の解像度が高い。

 これは、若かった頃のことをよく思い出すという高齢化による症状の一つかとも思うが、記憶つまり思い出の蓄積こそが、人が生きてきた証であり、人生そのものなのだとあらためて考えさせられる。

 

「貴方の将来の夢は何ですか」と尋ねられることがある。

 高齢者でも夢見ることは好い。そこで、突拍子もない未来図を描いてみるが、大脳皮質をフル回転させても、自分の経験や記憶の延長線上に描くことしか出来ない。

 

 未来は過去からの延長線上にあるということだ。

 「予期せぬ未来が到来することもある」とはごもっともだが、ここで思い出すべきは15年前の3月11日だ。

1,100年前に起きていた貞観地震の記憶を活かした未来図が描かれていたなら、原発も含めたあれだけの被害を受けなくとも済んだのではないのか。

 未来は過去に起こった全ての経験と記憶の延長線上にあると言ったが、人間は都合の悪い経験と記憶は忘れることにするらしい。

 15年前に「想定外は無い」という言葉を重く受け止めたはず。忘れてはならない教訓と共に、新しい国の形と復興の姿を描き未来図を作ったのではないのか。

 しかし、人間は記憶から始まる未来の描き方を忘れたようだ。

特に為政者たちは「想定外」という言葉を復活させたいらしい。

 

 私たちは記憶の上にしか未来を描けないことを、今一度かみしめる必要があると思う。

 自分の記憶を消すことが出ない限り、思い出で育ってきた自分が描ける未来は想定内なのだ。

 

 ポジティブな未来図もネガティブな未来図も、自分に刻まれた思い出の中から生まれる未来だ。

 

 今、よき未来を描こうと思う。記憶にある失敗から学んだことを活かして。

 

漆師 江口忠博



「この土地で生きる」連載エッセイ その6

「教養という力」

米沢愛宕山より
米沢愛宕山より

 

      

 

     日本の伝統文化と言えば何を思い浮かべますか。

お茶やお花といったいわゆる「習い事」の世界を想像する人もいるかもしれない。

お茶やお花をたしなんでいる人に「教養がおありですね」などと褒め言葉を使う人もいるが、教養とは学問をはじめ芸術や歴史などの物事の本質を理解し、自己や社会の課題解決に資する思考の根っこのようなものだと思う。

言うなれば「教養人」とは、美しさを理解し身に備え、社会と向き合う支度ができている人だと言えるのでないか。

 

 美しいモノやコトに接していると心地良いものだが、常にそういう環境に身を置くわけではない。

何か得体の知れぬ気味の悪さを感じる場面はないか。

身に迫る妙な危うさを感じる時はないか。

自分の感性に優位性を持たせるのは不遜だが、美しさや整った形を理解している教養人は、同時に「美しくないもの」にも敏感であるはずで、事物の「危うさ」に対して率直に「危ない」と警鐘を鳴らせる人であってほしいと思う。

 

 近頃は他人を騙して金品を得る輩が増えているし、自己利益獲得のためには他者の痛みは二の次といった価値観が漂う世の中になってしまったが、憂うべき混沌とした現代社会にあって、「危うさ」を察知する感性を胸ポケットにでも忍ばせておいた方が良い。

そして、時々胸に手を当てその教養力を言葉に出してみて欲しい。

世に問うて欲しいのだ。

教養を身につけて豊かな人生を送りたいという人はなおさらだ。

自分の人生を取り巻く世の中が傷んでいては元も子もないではないか。

 

 教養は、たしなみで終わらせはいけない。

自分の人生を演出する一つのツールであり、善き未来を創造するためのエンジンでもあるのだから、と思う。

 

 漆師 江口忠博



「この土地で生きる」連載エッセイ その5

「アート思考で行こう」


 「麻ひもを漆で固めて創作したカップ3色」
 「麻ひもを漆で固めて創作したカップ3色」

 私は塗師だというコトは以前にも触れたが、塗師が印象として「漆工芸家」になり、遂には「漆芸家」という立派そうな世界におかれてしまうことがある。

そして芸術家やアーティストと呼ばれ誇大評価されてしまうことが多い。

 

 私も、確かに創作表現活動もするが、地域の需要を意識した生業だ。

塗師のような職人は地域の需要に支えられてきたと言えるが、コスパもタイパも悪く、生き残れるのは僅かという悲しい現実もある。

 

 一方、芸術家やアーティストは需要を念頭にした創作活動はしたがらない。自己の思想に基づいた表現活動を追求するのが常だ。

経済は需要と供給のバランスで市場が構成されているわけだが、需要があって商売が成り立つとしても、皆がその需要をめがけて過度に商材供給をすれば、やがて過当競争に陥ることになる。

ならば、他人が気付かない、今は未だない需要を見出して磨くことが必要であり、他人と同じことを考えていては商売にならないというコトに気付いて欲しいと思う。

 

 芸術家・アーティストに思いを致す時、彼らは他人の真似はしないし、それどころか世の中を独自の批判的眼差しで捉えて自己のみが表現できる世界を創造する。

芸術・アートとはそういうものだ。これを表現したくてたまらないという内発的衝動がある。

 

 ビジネスだって「こういう世の中にしたい」とか「こういうモノを、こういうコトを広めたい」という、衝動に基づいた未来創りであって欲しい。

そこには勿論「利他」の思いを忘れてはいけない。

そして、これで良しとはしない批判的な眼差しを持つアート的思考は、未来の力になると信じたい。

 

塗師 江口忠博 



「この土地で生きる」連載エッセイ その4

「繕いの時代へ」


 

連続コラムの名前を「コラム」ではなく「エッセイ」にしました。

塗師 江口忠博の四回目の寄稿です。

 

 1986年、イタリア・ピエモンテ州のボラという町から「スローフード運動」は始まった。

 

ローマ市内のスペイン広場に「マクドナルド」の出店が決まったことがきっかけという。

スローフード運動とは、地域内の農業生産者とつながる消費活動を作るという、経済の域内循環の大切さ唱える運動だ。

外資が地域を食い荒らすことに異議を唱えた運動でもあり、いわゆるファーストフードの対義語ではない。

 

 誰が作ったのかも価格が適正なのかも分からないままコマーシャルに魅せられて買い物をする人は多い。

 以前は、身近で作られ売られるもので間に合う暮らし方があった。

スローフードな暮らしだった。

今を大切にこの場所を大切にして無理なく緩やかに時間をかける、丁寧に暮らすライフスタイルだ。

「激しく壊れた器」
「激しく壊れた器」

「丁寧」といえば、私の稼業である漆工の世界は丁寧の極みを生き見せる場だ。

緩やか過ぎて、時代を何周か遅れて歩んで来たが、再び時代の先頭に並んだ気がするのは私の勘違いか。

そう、塗師の技の一つでもある「金継ぎ」が世界的ブームだと云うのだ。

 

    金継ぎは壊れた陶磁器を天然素材の漆や金紛等を使って繕う技だが、「繕う」という、モノを大切に思い扱う日本の文化は、今世界中から関心を集めているということ。

繕うことで新たな美を発見することもある。

身の回りで傷んでいるモノやコトがあったら身近な素材で繕ってみるのが良い。

 

「金継で繕われた器」
「金継で繕われた器」

 近頃は、世の中を丁寧に繕うべき時代に入ったと思うのは私だけではないだろう。

美しく繕いたいものだ。

 

 

             塗師 江口忠博



たかはた共生塾からのお知らせです

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『この土地で生きる』連載コラム その3

「廻り来る約束」


 「堂々たる田舎町」。これは置賜自給圏推進機構の共同代表菅野芳秀氏の言葉。活き活きと暮らしを営む決意がこもった、田舎を鼓舞する言葉だ。

 

 私が暮らす東北地方の日本海側は、裏日本と称されるのはいただけないが豪雪地帯である。

昔に比べれば積雪量は減った気もするが、やはり毎年の雪対策は市井の暮らしを不自由にしてきたが、何故この辛い雪国暮らしを幾世代にもわたって続けてきたのかを考えてみた。

 

 結論は「春の到来が約束されているから」と、私は思う。作物の種を播く春が希望となり、この土地で暮らし続ける意思と意欲が生まれたのだと思う。

 廻り来る春の到来は約束されている。

また資源の循環も自然界における物質代謝の廻りであり、日常の資源回収は有益なモノに形を変える約束。言うなれば、循環とは四季と同様「巡り来る約束」なのだ。

 

 私たちは様々な不安から逃れるために工夫を凝らして日々を生きていると言ってもいいが、不安を回避するための安心を得られる約束が欲しい。

 経済活動では、対価の支払約束をより多く結ぶことで収益確保の安心を得ることが出来る訳だから、売買という約束の数を増やしたいのが商売ということでもあろう。

 

 しかし、私たちを悩ませているのは、約束が履行されない場面が多々ある現代社会をどう生きるかであり、それが田舎の課題にもなっている。

 さればここで、約束という安心をちりばめて、循環という思考を整えた田舎を「堂々たる田舎町」として次世代に渡したいと思うのだ。

 

漆師 江口忠博

 


『この土地で生きる』連続コラム その2

「地域特性と包摂社会」


  「どんどん人口が減っていく。子どもも生まれないし、このままではこんな田舎町など簡単に消滅してしまう」と地方に嘆きの声が飛び交ってから久しい。

しかし、私が暮らしている置賜地方はそれほど暮らしにくい土地柄とは思えない。

 

 置賜地方は東西南北を端から端まで車で移動する時間は約1時間。

7万世帯、19万人が暮らす私の生活圏だ。

2万haの耕作地からは約20万人分の食料を得ることが出来るという試算もあるし、水資源だって森林資源だって豊富だ。

 

命を繋ぐ基は備わっている。

目の前に広がる農地やそれらを取り囲む山林や湖沼などは昔から皆で管理し利用してきた。

個人の自由度は少し制約されるが、地域内で支え合うための「約束」が共同体のセーフティネットを担っていたし、包摂社会を形成していたとも言える。

 

こんな風に「約束」から生まれる「安心」が田舎にはあったのだ。

今はどうか。地域の資源が経済成長に資するかどうかで価値決めがされ、その間尺に合わない地域は無用ということか。

いや、そうではあるまいし、させてもいけない。

 

 経済は地域を生かす一つの手立てではあるが、地域を脆弱化させる業ではない。

右肩上がりの成長の陰で、下がりっぱなしの左肩にしがみついていたのが田舎だったとしても、田舎の健気さが花開くのはこれからだと思う。 (次号に続く)

 塗師 江口忠博

 



連続コラム『この土地で生きる』

その1 価値観の変容 江口忠博



置賜自給圏推進機構の立上げに関わり、現在も常務理事として同機構を支えている江口忠博氏。もともとは漆職人であり、しかも山形県置賜地区では唯一の塗師として、現在も活躍中です。その彼が自身のテーマとしている自給圏思想を随筆として、置賜自給圏ホームページに連載をする第1回です。


 私は稼業として五代目の漆塗職人の道を選んだ。

と、言っても代々続く塗師家ぬしやに生まれた因果で今に至るとも言えるが。

 私の住む置賜地方に暮らす人々19万人の内、塗師ぬしはわたし独りとなった。

 

「独占企業で安泰だなぁ」と揶揄されることもあるが、需要があれば同業の塗師とも協業できたはずなのに高度経済成長の波間に消えた同業者はあまた。

 

 伝統的な漆器は本来、素地から仕上げまで天然素材を使い耐久性と美しさを備えた生活工芸品であり日用品でもあったが、いわゆる消費経済活動に合わなかったのか、生業なりわいとして成り立たなくなった。

 

 プラスチックや化学塗料など石油製品の台頭が大きな要因でもあるが、「本物」と「紛い物」が同等に扱われてしまった結果とも言えるだろう。

 「本物」の定義は、次号以降に触れるが、私たちが携えていたはずのコトやモノの本質を見極めるセンサー機能が劣化したことで、次世代に繋げたい価値観も喪失してしまったとも言えるだろう。

 次世代でも使える価値観センサーを作ろう。万象を照らすセンサーライトでも良い。

良く見て捉え考える力を備えるのに役立つセンサーが欲しい。

この土地の未来を照らすセンサーライトを作ろう。

こんな思いをしのばせているのが、私にとっての「置賜自給圏構想」である。(次号に続く)

塗師 江口忠博


高畠町からのお知らせです!

今年度、高畠町が町制施行130周年・町村合併70周年を迎えることを記念して、人類学者・霊長類学者で元京都大学総長であり、現在は総合地球環境学研究所所長を務める山極壽一(やまぎわじゅいち)氏を講師に迎え、「ゴリラに学ぶ未来の生き方」という演題で講演会を開催します。
「進化の隣人であるゴリラは学びの宝庫」と語る山極氏の貴重なお話を間近で聴ける機会ですので、ぜひご来場ください。

◆日時/11月3日(祝) 14時~16時(13時15分開場)
◆場所/高畠町文化ホールまほら
◆入場料/無料
◆問合せ先/企画課☎0238-52-1112

「食と農とエネルギーを語る集い」

報 告  置賜自給圏推進機構

 2024年3月31日、米沢市すこやかセンターに於いて「もの申す。食と農とエネルギー政談」と題した、地域が抱える食と農とエネルギーの課題を語る会が催されました。

 

二部制となった会は、第一部に淑徳大学客員教授の金子勝さんと新潟食料農業大学教授の武本俊彦さんの基調講話をお聴きし、第二部は菅野芳秀さん(自給圏推進機構共同代表)の進行で、会場からの話題や質問に会場から応える場面や講師からの感想や話題提供もありました。

 

第一部では、金子勝さんから現政権における政権下での厳しい農業経営環境や置賜地域の人口や農業経営体数の動態、「食料・農業・農村基本法の見直し問題」など地域で営農を継続するための課題などが多岐にわたって論じられました。

 

また、自給圏構想が母体となって2021年に設立された電力の自給自足を目指す新電力会社への取り組みへの期待も述べられました。

武本俊彦さんは、主に「食料・農業・農村基本法改正案」が呈した問題について語られ、地方が生き残るためには基礎自治体による「産業関連表」を活用した土地利用計画を作成すべきとの考えが述べられました。

 

会場からは、米の需要を増やすために「米粉加工」を行っているという実例紹介や、エシカル消費ではない低価格追及の消費活動の実態も語られました。

 

当日は、約3時間に及ぶ集いでしたが、会場いっぱいの150人ほどの参加者の皆さんにとって、自分が暮らすコミュニティの維持には地域の資源を多様な視点で活かす工夫が必要であると気付いていただけたものと思います。

 

講師の先生方をはじめ、ご参加いただいた市民の皆様に感謝申し上げます。

 

 

文・江口忠博 写真・川崎一人、ミスターA


多くのご参加をお待ちしております。


この件に関するお問い合わせは次にお願いします。

たかはた共生塾 渡部務 電話 090-2270-3346


連載「おきたまに根をはって」

第7回 悪戦苦闘する農業――いま、農村で何が起きているか

お待たせしました。置賜自給圏推進機構共同代表菅野芳秀のエッセイが久々に登場しました。

ちょっと衝撃な内容ですが、これが農業者の現状です。

それは日本の食料問題であり、環境問題でもあるのです。

新聞テオリア第134号・2023年11月10日掲載。

理事ブログ 連載「おきたまに根をはって」 - 一般社団法人 置賜(おきたま)自給圏推進機構 (okitama-jikyuken.com)


高畠町だからこだわる農と食と環境

今年は盛大に開催中


報告

3.19【食と農イベント】つなげよう! 「置賜の資源活用」と「地域内循環型社会」

 今、身近な食と農に危機が迫っていることを皆さんはご存じですか。

 

 3月19日(日)に置賜自給圏推進機構「食・農」部会で東京大学大学院の鈴木宣弘教授を招いての講演会とトークセッションを開催しました。鈴木教授は食糧安全保障の危機を訴え、国民全体で食糧生産を支えるための具体的な行動を促すために全国を歩く行動派の教授です。この日も予定時間も越える熱演に随所で賛同の声や拍手が沸き起っておりました。

 

 講演終了後は菅野共同代表を司会として、高畠町で有機農業を実践し、有機農業資材と有機農業生産物販売を手掛ける「おきたま興農舎」にも関わる農業女子小林和香子さん、子供たちに食の大切さを伝えたいと保育園を退職し米沢でNPO法人「食育ママ」を設立した加藤弥栄子さん、静岡県出身でアジア太平洋資料センター勤務後、白鷹町に移住し、有機農業を実践しながら、様々な農産物加工を仲間と取り組む「しらたかノラの会」のメンバーでもある疋田美津子さんと地域の女性3人をパネラーとしてのトークセッションを行いました。

 教授を前にして農、食、地域について各々の立場で日頃の取り組みや想いを語っていただき、観客の方々を巻き込んでのディスカッションに会場は白熱した空気に包まれました。

 

 今回の講演会は、昨年12月に菅野共同代表が置賜自給圏推進機構「食・農」部会の活動再開イベントとして鈴木教授の講演会を提案してスタートしたもので、準備期間が短い中、有機農業や自然農法、食育に各々の立場で取り組む推進機構のメンバーを中心に環境ジャーナリストで菅野共同代表と親交のある明石純子さん、私が所属する地域を楽しく、楽しいをど真ん中にというふわっとしたコンセプトで活動している「ミックスジュース」という集まりのメンバーが手探りで進め、気が付いたら当日を迎えているという状態でした。

 チラシが出来上がっての周知期間は1か月あったかどうか。正直どれだけの方に来ていただけるか皆が不安な中での開催になりました。「もう、こうなったら、お客さんが少なくても来ていただいた方にとことん楽しんでいただこう」菅野共同代表の開き直りともとれる前向きな発言に皆が笑う中、一人二人と少しずつ人が集まり、気が付くとチケットを捌くのが追い付かないくらいの行列が出来上がり、結果として150人もの参加者に集まっていただきました。

 参加者は、慣行農業に取り組む農業者、有機農業・自然農法に取り組む農業者、食育に関心を持つ方、地域のお母さんたち、行政関係者、地元の僧侶と多種多様な方々で、皆が鈴木先生のお話しに熱心に耳を傾け、講演終了後は司会が制御するのが大変になるほど先生への問いかけ、感想などが止まらない状況になりました。参加者の1人から出た「先生は全国を講演して歩き回り、あまりお金にもならないと思いますが、何故このようなことをしているのですか」という質問に菅野代表が、すかさず「これ以上、百姓をいじめるなということですよね」と先生に聞くと「そのとおりです。」というお言葉。この日、一番の大きな拍手が沸き起こった瞬間となりました。

危険な食を消費者が声を挙げて拒否する欧米を避けて、従順な日本人向けに展開することで利益を拡大しようとするグローバル種子・農薬企業。「今だけ、金だけ、自分だけ」のグローバル企業の思惑に飲み込まれないためには、今ある有機農業の優れた技術を共有し「横展開」することで、良質で安全な作物を作り、それを支える消費者との連携により「強い農業」を目指していくことが大切で、そのために食料品店で数十円だけ高い地元の食品を買う。そうした小さな選択を積み重ねることが、日本の食料と農業を支え、国民の命、子供たちの未来を守ることに繋がるというのが先生の主張で、それは置賜自給圏推進機構が掲げる食の地域循環型システムの考えそのものでした。

 

今回の講演会、その後の会場の参加者を巻き込んでの3人の女性たちのディスカションを通じて大きく想うことが一つありました。それは、一般的に言われているような対立関係は本当に対立するものなのかということです。

「慣行農業と有機農業や自然農法」「生産者と消費者」「地域と都市」「資本主義と共産主義」様々なものが対立的に捉えられていますが、それは、国とか組織とか立場に囚われているからで、本当は個々がお互いの多様性を認め合えば、皆が知恵を出し合って、少しずつかもしれないけど、今ある社会課題を解決して、誰もが自分らしく生きていける、より楽しい社会を目指していけるのではないかと多様な参加者を前にして強く想いました。

 

 

イベントの締めくくりに渡部共同代表が参加者へ置賜自給圏推進機構への加入を呼びかけました。置賜自給圏推進機構「食・農」部会は、立場の垣根を越えて人と人の繋がりを拡げる横展開の活動を進めていきます。今後の活動への支援、皆様の参加やご協力を置賜自給圏推進機構は心よりお待ちしております。

(横山記)


置賜自給圏へ! 

 皆様のご参加を呼びかけます。

 

置賜自給圏推進機構 食・農部会

 

多くの人が指摘するように、地球の生態系が大きな危機の中にあります。いま、私たちの主題は、工業系が主導する資源収奪型社会から、いのちと生存とを何よりも優先する、生命系主導の循環型社会へと大きく舵を切ること。そんな時代の転換期にあって、地域農業の存在は大きく、それは人々にとっての希望であり、土と人々との新しい暮らし、新しいつながり、新しい文化を育てる母体でもあります。

置賜は、工業系の視点から見たら遅れた地域と映るかもしれませんが、次代の生命系社会の視点に立てば、日本を循環型社会にいざなう豊かな可能性に満ちた農村地帯です。よって、置賜が目指すべきは工業系社会の「序の口」になることではなく、生命系循環系社会の堂々たる「横綱」になることです。

 

どんなに小さくてもいい。そんな価値を含んだ一歩を踏み出そう。こんな大望をもって、置賜自給圏の「食・農」部会が歩み出したのは2014年のことでした。なかなか思うようには行かず、賛同いただいた多くの方々に大変ご迷惑をお掛けしてしまったことは、大いに反省しております。しかし、せっかく貴重な失敗をしたのですから、その経験からの学びを次に活かし、再びの一歩につなぐことが求められています。

 

置賜の農業、特に家族農業(小農)は、生産効率を優先する規模拡大政策によって絶滅危惧種のように追いつめられ、存亡の危機に立たされています。それは何も農業だけではありません。規模と効率の波は、小売業、食品加工業、製造業、旅館業、サービス業などにも押し寄せ、置賜の暮らしに根付いた産業の危機、未来に向けた循環型社会の危機へとつながっています。

そんな流れに負けまいと、私たちは、農を始めとする置賜の多くの住民、生活者と共に、相互に助け合い、支え合う置賜自給圏「食・農部会」の再構築に向けて動き出そうとしています。

 

まずは問題意識を共有するため、チラシにありますように319日の鈴木宣弘先生講演会にご参加を呼びかけます。ここに集うことを出発点に、皆様と再出発を試みたいと考えます。

 

置賜自給圏の当面の課題

 

同じ失敗を繰り返さず、息の長い活動を続けるための、今後の取り組みと課題について考えたいと思います。

 

Ø  生命系主導の循環型社会へ

 

置賜地域は、四方が山に囲まれ、それぞれの地域が里山の恩恵を受けて暮らしていました。「食」も「エネルギー」も自給出来る環境にあります。その恩恵を活用するためにも、まずは、地球上のすべての命が土を介して循環していることを再認識することが大切です。

 

 規模の大小にかかわらず農に関わる人は、環境保全型農業をめざすこと、種子や肥料も地域内自給をめざすこと。土作りの原料は、無尽にあります。草木等、家畜の排せつ物も含めて土から出たものを土に返すだけです。動植物の亡骸を小動物や微生物が分解することによって、生命力のある土が出来、生命力のある土から、生命力のある農産物ができます。命は連鎖しています。

 

Ø  自給圏の輪を拡げよう

 

²  地域農業と醤油や、味噌、納豆、豆腐加工などの小さな生産、流通、加工、消費の地域内連携……それに地域の旅館業者などをつなぐ

 

学校給食に有機農産物を取り入れる活動

 

²  シンポジュームや集まり、相互の交流や異業種との連携を図る事業

 

²  「自給圏新聞」やSNSを介しての情報発信とコミュニティづくり

 

²  子ども食堂と地域農業をつなぐ取り組み

 

その他、皆さんの提案を取り入れて、自給圏の輪を拡げて行きたいと思います。地域づくりは果てしないプロセス。ムリをしたのでは続かない。人の出会いをたのしみながら、おもしろく、楽しく、歩んでいきたいと思います。

 

 

ともに魅力ある置賜を創って行きませんか? ともに歩みましょう!


【食と農イベント】オンライン配信

「つなげよう! 「置賜の資源活用」と「地域内循環型社会」」

一般社団法人 置賜自給圏推進機構 食・農部会

※参加URLは後日、購入者様のメールアドレスに詳細を送付します。

 

※オンライン参加チケットはオンライン配信希望の方のみとなります。 

 

 

・日時:2023年3月19日(日)

・時間:午後1時~午後5時

・オンライン参加料:500円(税込)

・内容:第一部:基調講演(13時~)

    第二部:トークセッション(14時40分~)

 

===【第一部】基調講演===

 

「地域農業と循環型社会」

 

 東京大学大学院 農学生命科学研究科教授

 鈴木 宣弘 氏

 

 東京大学農学生命科学研究科教授。農業経済学者。食料安全保障 が揺らぐ日本にあって、国内の資源循環の重要性や、生産から消費までの国内ネットワークの必要性、国民全体で食料生産を支えるための具体的行動などを訴える。 

 

===【第二部】食と農トークセッション ===

 

「地域といのちとつながりと」 

 

「地域といのちとつながりと」をテーマに、食・農・循環を中心とした地域づくりについて、農の現場・ 食の現場・子育ての現場からのパネラーと熱く語るトークセッション。

これからの地域のあり方と食や農の未来について、さて何が飛び出すか? どうぞお楽しみに。

 

 

こちらが購入のURLになります。

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※参加URLは後日、購入者様のメールアドレスに詳細を送付します。

 

※オンライン参加チケットはオンライン配信希望の方のみとなります。 

 

 

・日時:2023年3月19日(日)

・時間:午後1時~午後5時

・オンライン参加料:500円(税込)

・内容:第一部:基調講演(13時~)

    第二部:トークセッション(14時40分~)

 

===【第一部】基調講演===

 

「地域農業と循環型社会」

 

 東京大学大学院 農学生命科学研究科教授

 鈴木 宣弘 氏

 

 東京大学農学生命科学研究科教授。農業経済学者。食料安全保障 が揺らぐ日本にあって、国内の資源循環の重要性や、生産から消費までの国内ネットワークの必要性、国民全体で食料生産を支えるための具体的行動などを訴える。 

 

===【第二部】食と農トークセッション ===

 

「地域といのちとつながりと」 

 

「地域といのちとつながりと」をテーマに、食・農・循環を中心とした地域づくりについて、農の現場・ 食の現場・子育ての現場からのパネラーと熱く語るトークセッション。

これからの地域のあり方と食や農の未来について、さて何が飛び出すか? どうぞお楽しみに。

 

 

こちらが購入のURLになります。

https://checkout.square.site/merchant/02HAKJPC1DHQA/checkout/PBJ4LWCNTPBQZBN54ROR23NU

 


再起動!置賜自給圏推進機構

「食・農部会」地域の再生を心に込めておくる循環型社会のシクミとカタチとは?


お問合せ:電話090-2270-3346(渡辺務)までお願いします。

入場ご希望の方は事前に整理券が必要です。山形県高畠町の各公民館かJAたかはたでお求めください。

JA山形おきたま 事業所案内. 高畠地区 高畠支店◯TEL 0238-52-0057 ◯FAX 0238-52-4362 ◯住所〒992-0351 高畠高畠398 振興◯TEL 0238-52-1430 ◯FAX 0238-52-4362


置賜自給圏推進機構 共同代表の菅野芳秀のエッセイ「おきたまに根をはって」第5回 コカ・コーラとトカゲ

 

置賜自給圏推進機構 共同代表の菅野芳秀のエッセイ「おきたまに根をはって」第5回お待たせいたしました。

「理事のエッセイ」コーナーです。← ここをアクセスしてください。


連載「おきたまに根をはって」

第4回 車のハンドルを握って町まで買い物に行って来た

菅野芳秀(共同代表理事)

お待たせしました。菅野芳秀(共同代表理事)のエッセイをご紹介いたします。

待望の第4「理事エッセイ」コーナーです! ← ここをアクセスしてください。


連載「おきたまに根をはって」

お待たせしました。菅野芳秀(共同代表理事)のエッセイをご紹介いたします。

第3回 求められているのは『新しい社会主義』佐藤藤三郎さんの話です。「理事エッセイ」コーナーでどうぞ!

https://www.okitama-jikyuken.com/%E7%90%86%E4%BA%8B%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/

 


菅野芳秀共同代表が新刊を発表しました。

「七転八倒百姓記-地域を創るタスキ渡しー」(現代書館)です。

「おきたま根をはって」第2回の「帰(かへ)りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。」です。ぜひお読みください。

「理事エッセイ」コーナーでどうぞ!

https://www.okitama-jikyuken.com/%E7%90%86%E4%BA%8B%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/


菅野芳秀共同代表理事

新連載「おいたまに根をはって」

長い沈黙を破って農家で思想家の菅野芳秀置賜自給圏共同代表が「理事エッセイ」に連載を開始しました。

「おきたま根をはって」第1回の「地域づくりに必要なこと」です。ぜひお読みください。

https://www.okitama-jikyuken.com/%E7%90%86%E4%BA%8B%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/

上記「理事エッセイ」のコーナーです


2021年8月までのトピックスは次のURLにアクセスをお願いいたします。